古文書
阿蘇家御書・諸家書簡・旧記集
[所在地:早楠][指定:昭和43年12月15日]
早楠神社にゆかりの阿蘇家に関する文書3巻が、柚留木家に保管されている。「阿蘇家御書」26通、「諸家書簡」16通、「旧記集」12通の総計53通の文書が、3本の巻き軸に収められている。巻き軸にまとめたのは、矢部浜町の下田左衛門で、安政4年(1857年)であった。「阿蘇家御書」の軸では、大宮司惟忠、惟豊に関する文書が多く、文明15〜6年の物。「諸家書簡」は、阿蘇大宮司老中から発送された書状が主である。「旧記集」は、佐渡、祭主、甲佐二太夫家を中心とした土地の坪付注文書等である。この3巻は、阿蘇大宮司より甲佐社領(砥用地方は、甲佐社領に含まれていた)にあてた物である。このような重要書類が、早楠に保管されていること自体不思議であり、以下に阿蘇家にとって因縁の深い場所であったか窺い知れる。
橋の自記
[所在地:安部][指定:昭和44年11月15日]
霊台橋は、弘化3年時の総庄屋・篠原善兵衛の努力により完成したが、彼の自記がこれである。「もと此の里は、あがたの中央を流れ里人は更なり往来の旅人世々此渡に苦しむ…」の書き出しで始まる長編の名文で、和歌も記してあり詩歌にも優れた才能を有された人で、この橋の碑文として刻まれている。
船津石橋の記
[所在地:安部][指定:昭和44年11月15日]
「船津石橋の記」は、狩野宗山氏直筆のもので、篠原家に保存されている。氏は、文武諸運に優れ砥用、高森等において学校を起こした。身体すこぶる強健で、晩年に至るまで熊本砥用まで下駄で往復されたという。明治12年没し、墓は栗崎にある。
篠原家々系・短冊 指定・覚書・差し紙・先祖附・楠流兵法切紙の法
掛け軸-扇の図・原城攻めの覚書・細川家奉行連署あてがい状[指定:昭和44年11月15日]
文化、文政にかけて、砥用も数々の土木業や民生上様々の福祉が実施された。この頃の代表的地位にあった偉人・篠原善兵衛は、種々の事業を行った。由緒ある篠原家の家系や、自らの筆による短冊、覚書また、時の城主細川忠利公より贈られた掛け軸、扇の図が保存されている。
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更新日:2024年03月01日