霊台橋(れいだいきょう)

更新日:2024年03月01日

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ピンク色や赤色の花の先に、半円形の橋脚となっている石橋の霊台橋が写っている写真

国指定重要文化財

日本一の石橋

 江戸時代の石造単一アーチ橋としては日本一の大きさを誇る。緑川本流に架橋。
 矢部にいたる難所「船津峡」は、交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられたが、いずれも流失したため、砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛が石橋架橋を計画し、峙原村(美里町涌井)の伴七(茂見伴右衛門)らが補佐した。種山手永の宇助を棟梁とし総勢72人の石工が各地より集められ、工事は弘化3(1846)年より弘化4(1847)年にかけておこなわれた。明治時代以降も、昭和41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用された。架橋後160年以上が経過した今日でもその威容は健在で、見る者を圧倒する。

半円形の橋脚となっている霊台橋を斜め下から撮った写真
表:霊台橋(れいだいきょう)について
項目 内容
橋長 89.86メートル
橋幅 5.45メートル
橋高 16.32メートル
架橋年 弘化4年(1847年)
事業主 砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛
石工 種山手永の宇助ら72人
大工 峙原村の伴七(茂見伴右衛門)、万助ら
所在地 美里町豊富(船津)

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