霊台橋(れいだいきょう)

国指定重要文化財
日本一の石橋
江戸時代の石造単一アーチ橋としては日本一の大きさを誇る。緑川本流に架橋。
矢部にいたる難所「船津峡」は、交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられたが、いずれも流失したため、砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛が石橋架橋を計画し、峙原村(美里町涌井)の伴七(茂見伴右衛門)らが補佐した。種山手永の宇助を棟梁とし総勢72人の石工が各地より集められ、工事は弘化3(1846)年より弘化4(1847)年にかけておこなわれた。明治時代以降も、昭和41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用された。架橋後160年以上が経過した今日でもその威容は健在で、見る者を圧倒する。

項目 | 内容 |
---|---|
橋長 | 89.86メートル |
橋幅 | 5.45メートル |
橋高 | 16.32メートル |
架橋年 | 弘化4年(1847年) |
事業主 | 砥用手永惣庄屋・篠原善兵衛 |
石工 | 種山手永の宇助ら72人 |
大工 | 峙原村の伴七(茂見伴右衛門)、万助ら |
所在地 | 美里町豊富(船津) |
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更新日:2024年03月01日