堅志田城跡(かたしだじょうあと)

更新日:2024年03月01日

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木々が鬱蒼と生い茂った中にある段が作られている堅志田城跡(かたしだじょうあと)の航空写真

堅志田城跡へと続く道路において、陥没が見つかりましたので、安全確保のため、しばらくの間本体部分への立ち入りを禁止いたします。

ご迷惑をおかけし申し訳ございませんが、ご理解の程よろしくお願いいたします。

史跡

堅志田城跡(かたしだじょうあと)

戦国時代の肥後国を代表する大規模山城

 堅志田城跡は、室町時代の終わり頃から戦国時代に肥後中央部に勢力を拡大していた阿蘇氏の山城です。当時の古文書には、今から約490年前、大永三(1523)年に、初めて城の名前が見られ、天正十三(1585)年に、薩摩・島津氏の攻撃によって落城したことが記されています。城跡は昭和53年9月25日に町の文化財に指定され、昭和62年から25次の調査がおこなわれています。
 その結果、堀切14本、郭11ヶ所、畝状縦堀、門跡などを備える、熊本県内でも有数の大規模な山城であったことが判明しました。また、城跡の発掘調査では、堀立柱建物跡・柵列跡などの遺構や、中国産陶磁器(青磁・白磁・染付)をはじめ、中世の土師器・須恵器や、古銭・小刀・鏑矢などの遺物が出土しました。
 最近の調査では、麓集落「栫(かこい)」周辺の伝承地名や神社との関連が明らかになるなど、更なる歴史の解明が進んでいます。
 このような、史跡の学術的な価値や、町の取り組みが評価され、平成18年1月26日、城跡は国の史跡に指定されました。

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