その他
更新日:2012年12月19日
砥用丹後守の墓
[所在地:美里町安部][指定:昭和63年3月1日]
阿蘇家臣の老臣、砥用丹後守は今から400年前の元亀2年(1571)涌井字馬入の馬入城に城を移した。丹後守(佐々原惟義)は、一時当地の領主として、300町を有し天正10年(1582)31歳で死亡している。現在、城跡は官有林となり石造りの堂があり石像が刻まれている。丹後守の墓は、安部地内にあり墓地は広さ約120平米、墓石は85cmで一段高いところに建っている。墓碑は、自然石で「明翁観居士霊」さらに天正十壬十二月二十七日と記してある。隣に、弟篠原後藤兵衛の墓石があり文字は判読できない。墓地一面70平米角の板状の石を張って、石畳となっている。
阿弥陀堂と長野加賀守一族の墓
[所在地:美里町白石野]
白石野本村の大地の突端に阿弥陀堂が建っている。境内には板碑や二十数基におよぶ五輪の塔が建ち、板碑の一基(逆修供養塔)には、「長野加賀守宇治惟清」「永禄五歴壬戊龍集十月吉日」と刻まれている。また、栗山の地には「とん(殿)の墓」と呼ばれる板碑が一基建っている。