巨瀬正道さん・由美子さん夫妻
緑川の河畔に近い美里町石野地区へ、定年後に福岡から移住したというご夫婦を訪ねようと、ちいさな集落の中を歩く。少し高台に白壁土蔵の古民家を発見。思わず足を止めて、その佇まいを愛でた古民家こそが目指すご夫婦の家だった。
「ようこそ」と招き入れてくださったのは、巨瀬正道さんと由美子さんご夫婦。玄関を入ると、今では珍しい土間があり、ひんやりとした空気に包まれた。見上げると吹き抜けを貫く太い梁。壁一面に並んだレコードとレトロなテレビやラジオは、正道さんのコレクションなんだとか。2,000枚ほどあるというジャズのレコードに囲まれて、正道さんの顔がほころんだ。
正道さんは長崎県佐世保市の出身。由美子さんとは父親の転勤地、佐世保の中学校で出会った。卒業後、お互いに別々の人生を歩んでいた二人は、40代になって再会。人生の伴侶となって苦楽を共にしてきたという。元々は福岡の放送局でエンジニアとして働いていたという正道さん。定年後には田舎でのんびり暮らしたいと、福岡から熊本あたりで家を探していたのだとか。「定年後には、年金暮らしでも生活しやすい物価の安いところに住みたいと思っていたんですよ。古民家に対する憧れもありました。そこで、この家に出逢ったんです」と語る正道さん。
由美子さんにとってもこの家とは特別な出逢いだった。「私の祖母の実家は、土間を設えた古くて大きな家で、古民家は身近な存在でした。この家の台所も土間にしたいと思ったくらい、土間のある暮らしが大好きなんですよ」。
築120年ほどの古民家は、二人が思い描いた理想の住まい。土間と釜戸のある家に一目ぼれし、美里町に移住することに迷いはなかったという。
憧れの住まいとはいえ、古い家だけに手直しも必要だったという正道さん。シロアリに食われた梁の補強はプロに頼んだものの、それ以外の修繕は全て夫婦で行ったと聞いてびっくり!「天井をはがして太い梁が見えるようにしたり、壁も二人で塗りなおしました。福岡に住んでいた頃に、DIY教室に通い、壁の塗り方を習っていましたから、楽しみながら自分たちでやりましたよ。時間は有り余るほどあるからね」と正道さん。「365連休ですもの」と由美子さんも茶目っ気たっぷりに笑う。
移住して変わったことを尋ねると、体のリズムが健康的になったそう。ひんやりとした土間のおかげで、夏場もクーラーいらず。その分、冬は底冷えする寒さの中、由美子さんはこたつから離れることができなかったと当時を振り返る。
「美里町に来てから、人間らしい生活ができるようになりました。暖房は、こたつと薪ストーブでね。忘れていた冬の寒さを思い出すと、体を冷やすアイスクリームや生野菜を食べたいとも思わない。体を温める食べ物を体が求めるようになりますよ。主人も酒量がぐんと減りました。ストレスや緊張から解放され、生きる意味を探すこともなくなりましたね」と由美子さん。
移住一年目、毎晩庭で火を焚きながら、並んで夜空を眺めていたというご夫婦。余計な明かりのない里山の空には、満天の星が輝き、毎晩眺めても飽きることはないほど美しく、「移住してきてよかった」という思いに満たされたと語る。春夏秋冬移り変わる空気と日の長さ。光と影が織りなす夜明けと夕暮れ。忘れてしまった大切なものが、美里町で見つかった。
美里町の住人となって早10年、今では地域を支える側となった巨瀬さんご夫婦。由美子さんは「受け入れる側こそ、大変だったと思いますよ」と、近隣の方々の当時の苦労を思いやる。
移住して間もない頃、沿道の草を草刈り機が使えない由美子さんが鎌で刈っていると、「まぁ、あたは鎌ば使いきるとな!?」と、声を掛けてくれたおばあちゃんが、「お疲れさま、お茶でも飲みにおいで」と誘ってくれたことが、地域への扉を開くきっかけになった。「何世代もこの地で暮らしてきた人々にとって、都会から移り住んでくる私たちが、どんな人間かも分からない。不安だったと思いますよ。それを払拭してもらおうと、どんな行事にも参加しました。一年が過ぎた頃、『移住してきたのが、あたたちでよかった』とつぶやいたおばあちゃんの言葉が忘れられません。」
初会、どんどや、お祭り、夏の草刈り、水道の管理など多彩な行事が人と人を結び、絆を築いていく。そこには、いつも手を差し伸べている美里町の人々の姿があった。旬の野菜を届けてもらったり、料理をおすそ分けしたり、巨瀬家の暮らしは美里町の暮らしそのもの。だからこんなに温かく、心地いい。
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